テレショップ評論家の取材記テレビショッピングで活躍するジャパネットの高田明社長や塚本慎太郎さん、実演販売人のマーフィー岡田さん、ショップジャパンのオークローン、マーメイドのオフィス・トゥー・ワン、片山雅子さん……、テレビショッピングが好きなライターなのでいろいろと取材をしてきました。 |
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オークローンマーケティング・ローチ社長取材記今回取材をお願いしたのは、名古屋にある株式会社オークローンマーケティング。 「ショップジャパン」で「スチームバギー」や「ターボタイガー」といった人気商品を扱っている会社だ。以前、「ワンダフル」(TBS系列)に出演のおりにも取材でおじゃまをした懐かしい思い出がある。 さて、「ショップジャパン」は洋物商品を積極的に扱う番組である。洋物テレショップというと、三井物産系列の「テレコンワールド」や住友商事系列の「住商HSNダイレクト」(最近はオムニバスCDに力を入れているようだが)、放送はすでに終了しているがフジテレビ系列の「直行便ニューヨーク」と後ろには大資本が控えている。 「ショップジャパン」の放送をはじめて見たとき、「物産と住商が洋物テレショップをやっているのだから、商事か、それとも伊藤忠あたりか?」と思ったが、なんと! 「ショップジャパン」は、1989年に来日した外国人青年が、日本の商習慣と戦いながら裸一貫から作り上げたテレショップ番組だったのである。 というわけで、今回は「プロジェクトX」っぽくお伝えしたい。 大志を抱いてローチ青年来日89年、ひとりの外国人が名古屋の地を踏んだ。イリノイ州出身の青年だった。83年の交換留学生として来日してから、3度目の日本だった。ときはバブルの真っ盛り。未曾有の円高。アメリカから商品を輸入して日本で販売すれば成功する。野望に満ちていた。彼の名前はロバート・W・ローチ。アメリカの大学院を修了したばかりの前途あふれる若者であった。 彼が最初に回ったのは、老舗のデパートだった。門前払いだった。日本の商習慣が、壁となった。 「素人の私はどこに売ればいいのか分かりません。そこで、とにかく老舗デパートの時計売り場に行きました。その時、売り場の担当者に『口座がなければ取引はできません』と言われたので、直ちに銀行で口座をつくり、再びそのデパートに出向き、銀行通帳片手に担当者と交渉したものの、『口座違い』に気づかされました。ここでの口座というのは、デパート側の取引口座のことであり、既に取引のある問屋を通らない商品は仕入れてもらえないわけです。これが、最初に直面した日本の商習慣の壁でした」(ローチ氏) 彼の戦いが、始まった。 運命的な出会い日本に来て4年が過ぎていた。バブルは崩壊し、出せば何でも売れる時代は終わっていた。そんな冬の時代、ローチはある男と知り合った。運命的な出会いであった。出席した異業種交流会だった。 男の名前は中村規脩。大学卒業後サラリーマン生活を送り、小売業に進出。野心的な男だった。一時は、苦境に立たされたこともあった。苦労人でもあった。中村は、商品輸入の仕事をしようと考えていた。海外から商品を輸入するならば、外国人をパートナーにしたかった。 「1993年に現在専務である中村と運命的な出会いをし、同年5月に、オークローンマーケティングを設立しました。最初はティファニーやグッチなどのブランド商品を並行輸入して問屋に卸していました」(ローチ氏)。 転機がきた。取扱商品をテレビショッピングで紹介するチャンスが訪れた。オークローンマーケティング設立とほぼ同時だった。ローチと中村、二人で商品の紹介をした。バルダンウォッチだった。 二人はオンエアーを見ながら祈るような気持ちでいた。すると、電話が一斉に鳴り出した。 「国内のテレビショッピング番組に紹介した商品(バルダンウォッチ)が好評でしたので、別の商品を紹介してもらえないかと番組側からリクエストがあり、一気に波に乗る感でビジネスが進みました」(ローチ氏)。 会社は一気に波に乗った。この後、運命を決定づける商品とのさらなる出会いが訪れた。 「そんな上昇ムードの中で、再び運命的な出会いをしました。それは、オークローンマーケティングの『殿堂入り』商品ともいえる染み抜き剤『ディディセブン』との出会いだったのです」(ローチ氏)。 快進撃が始まろうとしていた。 「ディディセブン」快進撃のきっかけは、ドイツで開発されたシミ抜き剤だった。「ディディセブン」。布を痛めることなく頑固なシミを落とすと評判の商品だった。 「当時、『ディディセブン』は世界中で既にベストセラーでした。その販売会社であるカナダのインターウッドマーケティンググループ社から、『ディディセブン』を日本で販売して欲しいという申し出を受けたのです。これが、オークローンマーケティングが独自のテレビショッピングを行うきっかけになりました」(ローチ氏)。 ローチ自ら「ディディセブン」を実演した。売れに売れた。社員だけでは対応しきれなかった。社長であるローチ自ら注文を受け、商品を発送した。大忙しだった。心地の良い汗が流れた。そのとき中村と目があった。言葉は交わさなかった。お互いの気持ちは、通じ合っていた。 「最初に扱った『ディディセブン』は予想通り爆発的に売れました。当時、スタッフも少なかったので、私自身、受注から発送まで何でもしました。そんな中で実感したのは、人間の基本的なニーズは世界共通ということ。シャツにつく染みが、味噌かケチャプかの違いだけ。だから『世界でヒットしている品物は、必ず日本でも売れる(=ニーズがある)』。これが私の信念です」(ローチ氏)。 更なる飛躍「ディディセブン」の成功で、更なる飛躍を求めた。自社制作の番組の放送だった。 本格的な放映の交渉が始まった。そこに新たな壁がそびえ立った。小さな会社とテレビ局との交渉は困難を極めた。社長が外国人だったのも障害となった。 「私たちはアメリカのインフォマーシャル(情報提供型ショッピング番組)を日本語に吹き替えして放送するという、ユニークな番組を日本で開始しました。今ではお馴染みになっていますが、最初は大変でした。30社ほどローカル局を訪問し放映交渉をしましたが、外国人が経営する小さな会社は相手にされません。しかし、諦めずに放送局を求めて交渉を続け、ついにケーブルテレビで放映されることになりました」(ローチ氏)。 徐々に放送枠が増えていった。知名度も上がっていった。新商品の本格的な投入も始まった。ついに、地上波、BS、CS、ケーブルテレビ。映像メディアへの進出が成功した。 日本の土を踏んで十数年。イリノイ州の青年は、ついに夢をつかんだ。 【取材協力】
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■僕も買ってるショップジャパン!! 届く商品、どれも使っています。
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